「心に残る出会い」部門 大賞 マ・シェリ賞

英国のおばあちゃん

束央 早久亜 (つかおさくあ)(大阪府枚方市)

 数年前に英国旅行をした時のことだ。長期旅行を計画したため、宿泊は、フラットと呼ばれる週単位で借りられるアパートを選んだ。
 所有者兼管理人は、一人暮らしの老婦人だった。私は彼女の部屋を訪れ、様々なローカル情報を手に入れた。彼女は七十を越す高齢で足取りも弱々しかったが、最初から気軽に私を部屋に通してくれた。
 退屈していたのだろうか。私が部屋を訪れると、彼女は決まって用件以外の長話をした。話題は聖書の教えから社会情勢まで、多岐にわたった。英会話に自信が無い私も、彼女から、「トライ! トライ!」とせっつかれ、つたない英語で必至に日本のことを説明した。「フジヤマ」以外、日本について何も知らなかった彼女は、私の話に興味を示して聞いてくれた。
 そのうち、彼女に変化が見えてきた。アンティークショップで日本の掛け軸を買ってきて、書いてある文字の意味を教えろと言う。また「イケバナ」について色々尋ねられたが、あいにく私は充分に彼女を満足させることはできなかった。「ショドウ」を見せてくれと言われ、持っていた筆ペンで適当に書いて見せたが、あれでよかったのだろうか。また、ラグビー日本代表の結果を、わざわざ教えてくれることもあった。
 さて、一ヶ月にもわたった滞在も終わり、お別れの時がきた。「サンキュー」、「グッドバイ」では何か物足りなく、最後に深々とお辞儀をした。彼女は手を振って見送ってくれた。
 帰国してからお礼の葉書を送ると、すぐに返事がきた。そして書いてあった。元々日本人は嫌いだった。第二次大戦時の捕虜の扱いに原因がある。しかし、初めて日本人と直接交わる機会を持ち、日本人も結構いいと思うようになった。この歳になって、こんなことがあるとは夢にも思っていなかった。最後のお辞儀が綺麗だった。日本人を嫌いながら墓場まで行かずに済んだ、と。
 読み終わり、少し目頭が熱くなった。

講評 身近な話題が多いなか、戦争や捕虜といった問題に触れていることが逆に新鮮でした。「嫌い」という気持ちを墓場まで持って行かずに済んだ、という老婦人の言葉が心に残ります。最後の一行は蛇足かも知れません。(澤口たまみ)

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「心に残る出会い」部門 たまみ賞

赤い相棒

加藤 さつき(岩手県盛岡市)

 小学四年の私の夢は「カメラマン」だった。
 毎日「カメラが欲しい。」とだだをこねる作戦が意外にも早く成功し、誕生日でもクリスマスでもないある日、父の東京出張の土産で赤い手巻きカメラがやってきた。
 予定外の赤いカメラとのコンビ結成に、恋も知らない私だったが「胸の高鳴りってこうなのね。」とドキドキした。ファインダーを覗けばいつもの風景でさえ、キラキラと輝いて見えた。もちろん、私の未来も。
 初被写体は縄跳びをしている友人。シャッターを切るといっても、相棒は「パシャ」や「カシャ」とは程遠い「ポンッ」と発した。間抜けな音だったが、それくらいで私達の関係は揺るがないわと、フィルムをギーギーと巻きながら、放課後は過ぎていく。
 しかし、仕上がりは「あれぇ?」とぶれたものだった。相棒の能力が分かっていた父は、「よく撮れてるよ。」とほめてくれたが、私はガッカリした。それでも未来を信じ撮り続けていたが、ぶれた撮影を何度も繰り返すうちに、私の未来もぼやけていってしまった。
 それでも相棒との関係は変わらず続いた。修学旅行の夢の国や大仏、涙の卒業式、振り袖の私にも、もれなく付いてきた。年頃になると赤色が子供っぽく手巻きの音が恥ずかしくて連れて行くか迷うこともあったが、複雑な私の心を知ることもなく、相棒はギーギーと巻いてくれよと主張する。そして私の青春を見守り、私の秘密を知っていた。
 その関係も、携帯カメラの出現によりあっさり解消された。相棒は時代の流れに逆らえず、押入れでの隠居生活となった。
 数年後、お嫁に行くことが決まり、「いる物」「いらない物」を分別した。もちろん赤い元相棒も姿を現し、フィルムを巻き戻すように暫し思いを巡らせた。あの頃とは違う未来の自分だけど、新しい家族との生活に少しは付き合ってほしいなと「いる物」に入れた。再結成を期待して。

講評 人や動物ではなく、カメラという「物」との出会いをテーマにしたこの作品は、その視点のユニークさが光っていました。正面から「物を大切に」と言わずとも、ていねいに物とつき合うことの豊かさを感じさせてくれます。 (澤口たまみ)

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「心に残る出会い」部門 詩歌の森賞

ばば友

柳 霧津子(大阪府茨木市)

 小さなウソからそれは始まった。
 趣味はゴルフと料理、よく呑みよく食べよく笑う76歳の母は、元気な内は自由が何よりと同居を拒み、福岡で一人暮らしをしている。
 そんな母が右膝を悪くして急に手術する事になった。3人の娘は遠方で仕事もあるため付き添えない。母は簡単な内視鏡手術で心配は要らないし、お返しが面倒なので誰にも知らせないから、と一人でさっさと入院した。数年前から携帯メールを使いこなし、「食事薄味」とか「ビールが飲みたい」と報告してくる。そして手術も無事終わったある日のメールは、「何十年かぶりにおこづかい貰った。」
 お隣りのベッドのFさんだった。86歳のFさんはつい最近まで仕出しの配達をしていたそうで、身体は小さくて細いのに手は熊手のようだと母は言った。その熊手で「何か好きな物でも」と母の寝間着のポケットにのし袋を差し込んだ。一万円分の商品券だった。
 Fさんの所には毎夕息子さんが来て、毎回必ず、漫才の様な口喧嘩が始まる。その微笑ましい親子の様子に、
 「よかですね。私は身寄りがないけん」と言った冗談が、鵜呑みにされたのだった。それからはおやつを分けてくれたり、読んだ週刊誌を貸してくれたり何かと世話を焼いてくれ、今更ウソだとは言いにくくなった。私は、「歳をとって人にしてあげられる事があるのは嬉しいもの」と言っていた80歳の知人女性の言葉を思い出し、
 「そのウソ、そのままでいいっちゃない?」と言った。
 母は10日程で退院したがFさんは両膝の人工関節手術の為、入院は長引くとの事。母はリハビリ通院の度に二人分のお弁当を作ってFさんに会いに行く。そしてFさんの好物の卵焼や筑前煮の風呂敷を広げ、76と86のばば友は、病室ランチで話に花を咲かせている。もちろん母は今でも、「天涯孤独」の独居老人である。

講評 暗くなりがちな場面ですが、最後まで明るく描ききりました。お母さんの魅力的な人柄と、母に対する作者の愛情が伝わってきます。この母娘、性格も見た目もそっくりだろうという気がしますが、どうでしょうか。(豊泉 豪)

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「心に残る出会い」部門 佳作

カメさんが通る

ゆう(茨城県つくば市)

 真冬の夜の帰りほど、首の引っこむカメをうらやましく思う時もないだろう。  学生寮に住む私は、他の大多数の学生が自転車で帰路を急ぐ中、道の端っこを一人歩いていた。
 本来ならせめて両手だけでもコートのポケットに引っこめたいような寒さだったが、私に限ってはそうもいかなかった。 ??帰り道を探る白い杖を握る役目を、いずれかの手が担わなければならないからだ。
 そしてまた一台の自転車が、後ろから私を追い越して行く。はずだった。  私は近付く自転車が減速する音と自分の横に立つ人の気配に気づき、ふと足を止めた。
 「これどうぞ」
 声のするなり、何やら布のかたまりみたいなものを片手に握らされた。
 それはぷつぷつと滑り止めのついた、小さめの手袋だった。
 素手で杖を振りながらのろのろ歩く私を見て、自分のしていた手袋を渡してくれたのだろう。けれど、正直言って少し戸惑った。こういう身の上なので、知らない人から声をかけられることは少なくないが、何しろ一度声を聞いただけでは、今後こちらから相手を特定することは不可能に等しい。分けても減らない親切のみならず持物を頂戴するのは、さすがに申し訳ない。
 「でも、お返しできないので……」
 「あー、私はまたひゃくえんみせで買うので大丈夫です」
 なんとも微笑ましい片言の日本語だった。この辺りでは留学生は珍しくない。
 そこまで言葉を交わすと、二人とも暫し沈黙してしまった。こういう時は慣れている方が動かねばなるまい。とっさにそう判断したのだろう。
 「ありがとうございますっ」
 ちょっと大げさなくらいにぶんとお辞儀をして、私はその厚意を受け取ることにした。
 「じゃあ」
 そう言って、何事もなかったように自転車の彼女は遠ざかって行った。このあと私は、最初より一層ゆっくりと歩いて家路に就いた。誰かがくれたあたたかい手袋を外してしまうのが、なんだかとてももったいなかったからだ。

講評 留学生の片言の日本語と、作者の不器用なお辞儀。一見ぎこちないコミュニケーションであればこそ、心は真直ぐ通い合っています。あまり技巧的にならず、淡々と描いた方が、より温かさが伝わったかもしれません。 (豊泉 豪)

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「心に残る出会い」部門 佳作

写真撮りましょうか?

乙坂 優希(北海道札幌市)

 抜群に仲は良いけど、ちょっと内気な4人家族。母の手術が決まったので、景気づけに、ということで小旅行をすることにした。
 何てことない家族旅行。だけど、当時中学生だった私は、口にこそ出さなかったが、これが最後になったらという不安でいっぱいだった。手術が失敗して死ぬ可能性は低かったけれど、脳の手術は後遺症が出ることが多い。楽しい旅行の最中なのに、余計な事ばかり考える。大丈夫、大丈夫だよ、大丈夫だよね?
 内気な一家は、普段写真を撮らない。カメラを持ち歩くこと自体少なかったし、持っていても、誰かに写真を撮ってとお願いはできずに、誰かが欠けた写真ばかりを撮っていた。
 あの時も、私がカメラを構えて笑顔を要求した。父と、母と、ひとつ違いの妹。  「写真、撮ってあげるよ。」
 不意に声をかけられて、私は飛び上がるほど驚いた。いかにも今風の茶髪のお兄ちゃんが、手を差し出している。
 「あ、えっと、あ、お願いします。」
 「うん。」
 「ありがとうございます。」
 「ほら、行って。撮りますよ!」
 シャッター音が鳴ったとき、一番良い笑顔をしていたのは、彼だったと思う。
 我が家の数少ない4人全員の集合写真。その旅行の写真の中で、みんなが一番良い顔をしている。その旅行の話をする時、私たちは必ず彼を思い出す。彼のおかげで、内気な家族はちょっとだけ素敵になった。
 「写真、撮りましょうか?」  あれ以降父は、旅行先でこの一言を言うようになった。
 母と私と妹は、その姿を誇らしげに見つめる。そういえばあの時も、茶髪の彼の後方に、奥さんと子供らしき人影があったかもしれないな、と思う。
 彼らはいま、どうしているのかな。

講評 見知らぬ人に声をかけるのは、とても勇気がいるものです。でも、思いきって声をかければ、そこには一瞬ですが温かな交流が生まれます。写真のみならず、電車のなかで席を譲ることなど、実践していきたいですね。 (澤口たまみ)

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「心に残る出会い」部門 佳作

冷凍みかん

山本 恵鶴子(青森県八戸市)

 今から35年前。私は受験のため、東北本線で郡山まで行き、磐越西線に乗り換えて会津若松まで行った。その車中でのできごと。
 一人旅だけでも不安なのに、ボックス席の向かいには人相のよろしくない中年の男性。しかも、手にはエッチな週刊誌。何をされるわけでもないのにその頃の私は臆病だった。
 勉強するふりをして参考書に目を落としたまま「おじさん早く降りないかな…」と思っていた。と、突然おじさんが「試験受けに行くのか?」と話しかけてきた。「はい」とだけ答える私。私の態度が頑なだったからか、あまりに無愛想だったからか会話はそれきりだった。そしておじさんは降りて行った。
 ホッとしているとホームから列車の窓をコンコンと叩く音がした。驚いて窓の外を見ると、今降りたばかりのおじさんだった。恐る恐る窓を開けると「これ食べな! 俺にもあんたみたいな時があったんだ。試験、頑張れよ!」と冷凍みかんをグィッと差し出した。「あ、ありがとうございます」と受け取る私。すぐに列車はホームから離れ、私の手には赤いネットに入った冷たいみかん。
 その無骨な優しさが私にはとてもショックだった。おじさんを悪人と決めつけていた自分が情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。おじさんはきっと、私を若かりし頃の自分とを重ね合わせていたのだろう。膝をつき合わせただけの高校生に、自分の思いを伝える率直さに胸を打たれた。
 あれから時が過ぎ私もあの頃のおじさん位の年齢になった。学習塾で事務をしている私は、毎年、数多くの受験生に出会う。昔を想い出しつつ、生徒達に「頑張ってね!」と言うたび胸がキュンとなる。それはあの時の甘酢っぱい冷凍みかんのせいだろうか。
 あのおじさんに会うことは二度と無いだろう。でもあの車中でのできごとは一生、忘れられない。

講評 少女の潔癖さと、臆病さからくる小さな敵意が、冷凍みかんの存在感?色、手触り、歯ざわり、香り、味…によく似合っていて、中年男性の無骨な優しさを際立たせています。締めの一文には一考の余地がありそうです。 (豊泉 豪)

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「心に残る出会い」部門 めんこいテレビ賞

貯金箱

荒井 健太(埼玉県八潮市)

 岩野の営業チームに配属されたのは、去年の4月だった。年齢が二つ下の彼がマネージャーでリーダーだった。年功序列ではないベンチャー企業だ。入社3年が経っても僕は結果が出ていなかった。毎日上司に「早く結果を出せ」と言われ「結果で返します」と返していた。
 僕の口癖は、「やばい」だった。ミスをしたわけではないのだが、仕事の納期がギリギリだと「やばい」、売上に繋がりそうな話がきても「やばい」、状況に変化があれば「やばい」と言っていた。
 そんな僕を見て、「荒井さん、やばい、って言ったら100円徴収です」と岩野は100万円が貯まるアルミ貯金箱を机に置いた。「100万円貯めて飲みに行きます」と岩野は笑った。禁句ワードを言ったら罰金、罰則を設けていることを社内で大っぴらに言えないので、こっそりと始めた。無意識に「やばい」と言って、「荒井さん、アウトです」と指摘されては何度も100円玉を投下した。
 貯金箱がズッシリとしてきた頃に、岩野は「やばい、と同義で、嬉しい、って言ってください」と言った。最初は戸惑ったけれど、それから何かあるたびに「嬉しい」と意識的に言うようにした。本当に「やばい」シチュエーションもあったけれど、「嬉しい」と口に出した。「やばい状態で嬉しいと言っている自分」が可笑しくて、笑顔が漏れた。「嬉しい」と言う時、僕は笑っていた。やばいと思ってるけど、笑ってる。
 「習慣が変われば、性格が変わるんです」と岩野が言った。著名なビジネスマンの言葉で、確かに気持ちはポジティブな方向に傾いていた。
 数字が目に見えて上がってきた。追い込まれている営業マンよりも、いつも笑顔でわくわくさせてくれる営業マンの方がクライアントは発注したいのだろう、と思った。ポジティブである為に、一つの習慣を変えた。
 その後、異動があって今ではチームがバラバラになってしまったけれど、お互いに「嬉しい」って連呼しながら、僕たちは売上を伸ばしている。

講評 生き生きとした職場の雰囲気が伝わってきます。若いリーダーの情熱と、作者の気持ちの変化が臨場感たっぷりに綴られている点がいいですね。ただ貯金箱は最終的にはどうなったのか、ちょっと気になるところです。 (澤口たまみ)

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