「旅」部門 大賞 マ・シェリ賞

旅は靴ずれ

たな は(青森県八戸市)

 9年前の新婚旅行。新幹線で京都の駅に6時間かけて到着し、宿まで歩くことになった。
 あっちに行ったり、こっちに来たり、地図を片手にうろうろする私に、「もっと早く歩けよ。」と、夫は目的地の宿を勘で探し始めた。そのうち、私はかかとが痛くなってきた。新しいブーツだったのだ。ドンドン先へ遠ざかっていく夫の背中。
 ずいぶんと遅れをとった私のところに夫がイライラ顔をして戻ってきた。
「足が痛いよ、靴ずれしたみたい。」私が言うと、
「なんで、旅行に新しい靴を履いてくるの!!」と、怒り出す夫。「…」(私の心は涙) 「根性で歩け!!」と夫は言い放ち、変わらず前をどんどん先に歩いていき、私は休んでは小走り、休んでは小走り、やっと宿に着いた。部屋に入って靴下を脱ぐと、見事にかかとの皮がすりむけていた。
「私、この靴ずれのこと、一生忘れないと思う。」そう夫に言ったら、
「靴ずれなんて痛いうちに入らないよ。」と、答えた。
 夫は、アイスホッケーマン。氷上の格闘技の世界で、靴ずれを気にしていたら、試合に負けてしまう。スケート靴は、足にタコを作ったり、皮をすりむいたりするのは日常茶飯事なのだそうだ。夫は靴ずれに慣れっこだった。
 何年か過ぎ、何かの折に、旅で靴ずれして大変だったのよ、と母に話したら、母は、「私が旅先で靴ずれしたときね、お父さんは靴屋に連れて行って、私の足に合う運動靴を買ってくれたよ。」と、懐かしそうに教えてくれた。近くにいた祖母は、「おじいさんはね、靴屋にひとりで行って、おらさサンダルを買ってきてくれたことがあったよ。」と。
 なんとも心温まる「夫の靴ずれフォロー」。
 私たち夫婦にも子供ができて、ずいぶん夫も優しくなり、私も言いたいことを言うようにはなったけれど、「履き慣れた靴で旅に出よう。」これが我が家の教訓です。

講評 ユーモア溢れる、さわやかな文章でした。審査会では「奥さんが気の毒だ」という声も多く聞かれましたが、旦那さんの体育会の先輩のようなたくましさに、作者はひかれたんですよね?(豊泉 豪)

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「旅」部門 澤口たまみ賞

特急はつかり

岡田 透(青森県八戸市)

 僕が幼い頃、生まれ故郷の町から青森までの鉄道を走っていたのは蒸気機関車だった。途中の大釈迦トンネルでは、客室に煙が入らないように窓を閉めなければならなかった。
 当時、出稼ぎからお盆の帰省をしてくる父が、なぜ母に青森駅まで迎えに来るようにいったのかは判らないが、真夏の良く晴れたあの日、母と私は青森に向かう汽車に乗っていた。
 就学前の僕は、青森までの母との小旅行がうれしくて、開け放した車窓から、後ろに飛び去っていく景色に見入っていた。あのとき見た真っ青な空と白く光る入道雲のコントラストや、頬に当たる風や汽車の煙の石炭の匂いは、四十年以上経った今でも僕の脳裏のどこかに残っている。僕のご満悦に相反して、母は心なしか浮かない顔をしていた。今思えば体の弱い母は真夏の暑さに体調を崩していたようだった。僕はわざと母におどけて見せたりしたが、それに応えて笑う母の笑顔は弱々しかった。青森駅に着いて、改札までの長い長いプラットホームを歩いていたとき母が僕に「透、かっこいい汽車見たい?」と聞いたので、僕はもちろん「見たい」と答えると、母は僕の手を引いて別なホームへの階段を降りて行った。そのホームには人がごった返していたが、そこには今まで見たこともないスマートな列車が何両も繋がって停まっていて、それを見た僕はただならぬ衝撃を受けた。一番前の列車の正面には銀色の翼のようなマークが光り、クリーム色の車体に臙脂(えんじ)色のラインが真っ直ぐにずっと伸びていた。
 「おとうちゃんは、これと同じ汽車に乗って帰って来るんだよ」と母が言った。僕が「これ、なんていう汽車?」と聞くと母は、「なんて書いてある?」と言って、列車の正面のマークを指差した。銀色の翼のようなマークの下にはその列車の名前が書いてあった。「は・つ・か・り」僕がたどたどしく読みあげると、母がニッコリと笑った。その笑顔はいつもの優しくて明るい母の笑顔だった。

講評 入道雲や電車の描写が鮮やかで、読み手の心にも、くっきりと映像が浮かぶようです。読んでいて、出張から帰る父を駅まで迎えにいった思い出や、電車の好きな息子を駅に連れていった記憶が、懐かしく蘇りました。(澤口たまみ)

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「旅」部門 詩歌の森賞

入道雲

多田 秀樹(岩手県盛岡市)

 峠道のてっぺんに、入道雲が湧き出ているのを見たことがありますか? 入道雲に向かってチャリンコを漕いで、立ち乗りしたり座って漕いだり、汗だくだくで喉カラカラにして、気が付いたら頂上だった、なんてこと、俺、あります。30年も前のことですけどね。
 往復5時間の小さな旅。夢は自転車で日本一周だったけど、中学生の俺にできたのは区界峠の頂上に行って降りてくるくらい。他人(ひと)に言わせれば、ほんのお散歩コースでしょうけど。俺にとっては、ちょっとした旅でした。
 時速15キロの旅、アスファルトとの対話。そんな言葉を頭ん中に満たして、窒息しそうな教室の中で、食い入るように日本地図を見つめていました。授業なんかそっちのけで。
 仙台まで220キロ。1日で行ってやる。東京まで600キロ。3日はかかるな。
 いきなり、ガンと頭に衝撃が。先生に怒鳴られ、地図は取り上げられ、みんなに笑われて、恥ずかしくて頭に来て悔しくて。教室を飛び出したかった。窓際で夏の日差しがきつい俺の席から遠くを眺めると、でっかい入道雲がむくむくと白く輝いていました。そしたら、どっかから力が湧いてきて、大阪までは何日かなって、懲りずに考え出したりして。
 中学を卒業する頃までには、自転車旅行に対する興味は、全く無くなっていました。自転車で旅をしている人を見ると、心の中で、がんばれ! って応援していたもんですが、今じゃ、車の運転の邪魔としか感じられなくなってしまいました。入道雲も見かけない。
 40半ばになって、つくづく思う。思えば遠くに来たもんだ、ってね。人生は時間を旅する。人は皆旅の途中に、多くの物を忘れてくる。取りに戻るって言って、置いてくる。
 菜園のハローワークプラザから、肩を落としながら出てくると、ビルの谷間からでっかい入道雲が見えました。ガキの頃見たのと同じやつ。むくむくって白く光り輝いている。
 明日、5度目の面接です。がんばります。

講評 語りかけるような独特の文体を持っていて、私も無鉄砲で怖いもの知らず(あるいは怖いものだらけ)だった頃の、胸のざわめきが呼び覚まされました。その思いを何かに例えるなら、青い空に浮かぶ真っ白な入道雲。(豊泉 豪)

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「旅」部門 佳作

時効のない旅

泉 岳夫(岩手県盛岡市)

 娘から写メールが届いた。金比羅神社を旅行中という。石段を登るのがつらいと書かれた内容ではあるが、四国旅行を楽しむ自慢気なニュアンスが伝わってくる。うらやましいと返信しつつ、複雑なおかしさがこみあげてきた。おそらく家内も同様であっただろう。
 就職も決まったし、卒業式までまだ日がある。どこかへ二人で旅行しようと彼女を誘った。三十五年以上も前の話である。今でこそ卒業旅行は珍しくもなく、海外にまでいく時代であるが、当時はそんな言葉さえなかった。卒業すれば別れ別れになる、お互いに寂しい思いがあったから話はまとまり、思い切って遠い四国を回って思い出にしようとなった。
 金はないが、時間はいくらでもあった。夜行列車を乗り継ぎ、車中泊をして四国へ行き、向こうではユースホステルを使った。金比羅神社、高知城、桂浜、道後温泉など主だったところはぐるりと回った。観光名所の思い出以上に、道端のあちこちにみかんがたわわになっている風景が強く心に残っている。
 彼女とはその後結婚をした。ユースホステルは男女別室なので健全な旅行であり、やましいところはないのである。とはいうものの、れっきとした男女二人の婚前旅行である。自分の親がそんなふしだらなことをしたと知ったら、娘たちはどんなに衝撃をうけるであろうか。家庭内でこの四国旅行のことは一度も話題に上ることはなかった。旅番組でどんなに懐かしい風景がでたとしても、思い出の言葉が漏れることはない。父も母も四国に行ったことはないと娘たちは思っている。
 娘たちが四国への家族旅行を提案してきたこともあったが、秘密も思い出もこわれそうで、理由を作って断った。本当は、大学時代の思い出を語りながら一緒に回れたら楽しかったかも知れない。しかし、親としての面子が、あの旅行のことを言わせない。
 もう、話してもいい頃だろうか。時効のない旅の思い出である。

講評  「ふしだら」「衝撃」「親としての面子」といったやや大仰な表現は、作者の照れ隠しであり、ユーモアでしょう。そんな言い訳をしながら、子どもにも教えたくない、夫婦二人だけの甘酸っぱい秘密を楽しんでいるようです。(豊泉 豪)

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「旅」部門 佳作

菅笠二つ

斉藤 和子(岩手県滝沢村)

 二十八日間という私にとって最初で最後であろう旅から帰ったのは初夏だった。父恋しさで憧れた四国八十八カ所を二度目の今回は歩いた。とはいっても、名所旧跡に足を延ばす遍路としては邪道な旅だったが。
 誘っても生返事の夫に一人旅を決めていた。だが、それを心配する娘の説得に、出発間近になって「信心はないが、ボディガードで行くか」やっとその気になってくれた。札所を巡るには形からと、一番札所・霊山寺で白衣と菅笠を求める。馬子にも衣装のたとえのように、坊主頭の夫がそれを着けると二度目の私よりベテラン遍路に見え、ちょっと悔しい。「歩きですか」と声をかけられたと得意気で、時々俄か仕込みの般若心経を唱え恰好をつけている。私はお参りに専念、その間夫は境内をウロウロし見所を探してくれる。札所が閉まる頃宿に入り、入浴・食事を済ませると夫は従軍記者よろしく記録をつけ、翌日の行程を考えはじめる。最初は私が案内していたはずなのに気が付くと立場は逆転、初めての夫が先達になっていた。山の札所でバテると、いつの間に仕入れたのかタクシーの電話番号をメモしてある。すっかりお見通しだ。
 遍路に土地の人は気軽に声をかけてき、お接待までしてくれる。が、ひと度山道に入ると案内板だけが頼り、行き交う人はまずない。景色に目をやると「マムシに注意」の札が見えドキッとする。猪もいるらしく、徳島の十二番札所・焼山寺への難所で毛皮を干しているのを見たし、香川県観音寺市の猟師宿ではボタン鍋がでた。一人旅の女性が山道の同行をお願いする気持がわかり、夫の存在が大きくなる。だがマイペースの夫は追い付くとサーッと歩き出す。前の二人連れは肩を並べて歩いているのに。私達は鬼ごっこのようだ。でも、道連れがいることで人情や風景に心を向ける余裕がもてた。明日を考え合い歩いた四国路。壁に掛けてある二つの菅笠が、あの日を忘れちゃいけないよ、と語りかけてくる。

講評  わずか800字という字数のなかに、28日間という旅の思い出が、ぎっしりと詰まっていました。ほんとうは、もっと書きたいことがあったでしょう。この旅の思い出を、紀行文にまとめてみるとおもしろいと思います。(澤口たまみ)

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「旅」部門 佳作

私のパワースポット

ちぃ(静岡県裾野市)

 夏休み最後の日曜日、四歳の息子がいきなり切り出した。
「ねぇ、旅行したい! そうだ、東京タワー行かない?」
 高速を車で飛ばせば二時間のショート旅行が急遽決まった。
 東京タワーには深い思いがある。静岡の地方都市に住んでいた私は高校三年の冬、事故に遭い右足の自由を失った。長い入院生活の後、大学生活をスタートした土地が東京だ。何かできる、何かしなくちゃと焦っていた私にとって、タワーはお守りみたいな存在。
 いつも遠くから眺めてたっけ。
 休日の東京タワーの人ごみを、親子三人、六百段の階段で展望台を目指す。今まで歩いたこともない距離、歩けるだろうか? 杖を片手に不安でいっぱい。でも、どうしても上りたかった。赤錆のついた手すりと杖に助けられながら、一段一段進む。「ママ、大丈夫?」先に上り始めたものの、何度も戻っては私を気遣う夫と息子。くじけそうになったが、とうとう、最後の六百段、へとへとの身体でゴールした。
 展望台からの景色を楽しむ余裕なんてとてもなかった。ただ、「ママ、頑張ったね」という息子の声とご褒美のソフトクリームの甘さと冷たさがキンと胸に沁みてポロポロ涙が出た。  その時、気づいた。ああ、私、誰かにほめられたかったんだ。息子を出産してから体力勝負の子育てで、長い間すっかり自信をなくしてた。でも、私は私でいいんだ。運動会で親子体操ができなくても、歩き方がかっこ悪くてもいいじゃんか。できる事を一生懸命やろうって。
 二十年たった今でもタワーは私のパワースポット。今日、ここに来たのは必然だったんだろうね。
「どうして泣いてるの? ママのソフトクリーム、からいの?」  不思議そうに私の顔を覗き込む息子を、ぎゅっと抱きしめて笑う。

講評 子育てをしていると、自分の存在が小さく感じられ、自信を失うことがあります。そんなときには確かに、自分を褒めることも大切ですね。「ここに来れば元気になれる」という、自分なりの場所を持つのもすてきです。(澤口たまみ)

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